猛れ、大先生!

柴田善臣騎手が怪我のため長期間休養するとの発表がこのほどJRAよりなされました。
柴田善臣は11日の東京3Rでレース中に被った不利が原因で左臀筋(ひだりでんきん)を挫傷。その日の残りの騎乗をキャンセルし、翌12日には6Rまで騎乗するものの、頸椎(けいつい)症性脊髄(せきずい)症および左股関節捻挫が判明したためその後のレースは全て乗り替わりとなっていました。
先ほど、その不利を受けたという当該のレースを実際に目にしてみたのですが、確かに落馬寸前といえる極めて危険な不利だったとは思いますが、今回のように一度に何箇所も体を痛めるほど大それたのものだったかは、いささか疑問が残りますねぇ。思えば柴田善もすでに38歳。騎手としてはまだまだこれから脂がのってくる盛りかも分かりませんが、スポーツマンとしては肉体的に峠を越える時期に差しかかっています。そういう意味では彼の肉体にも慢性的な「ガタ」がきていたのかもしれませんね。


柴田善臣競馬ファンの間で「大先生」と呼ばれることが多い。それは親しみを込めてなのか皮肉を込めてなのか、その名の由来は分かりませんが、そのニックネームに恥じない(?)ような通算成績を収めていることは疑いようもない事実です。
しかし、近年の彼の騎乗は「何が何でも勝つ」という野心めいたものが感じられません。「ミス騎乗」と批判されるような乗り方をすることはほとんどありませんが、反面「こう乗れば誰にも文句は言われない」というような無難にまとまった騎乗が多くなったように見受けられます。
武豊横山典弘などがG1で勝負を賭けるとき、危なっかしく見えるほど大胆な騎乗を見せることがよくありますが、むしろ「勝負師」とはかくもあるべきであり、だからこそG1の厚い壁をブチ破れるのだと思います。G1を勝てない柴田善臣の騎乗はお世辞にも「勝負師」と呼べるものではありません。
ですが、彼がG1を初めて手にしたヤマニンゼファー安田記念で見せた騎乗は、真っ向から後続の馬を迎え撃つという意志の強さを感じさせるほど鬼気迫るものでした。秋の天皇賞もそう。ツインターボの作り出したハイペースを2番手で追走し、直線外から迫り来る田中勝春セキテイリュウオーに馬体を強引に併せにいった「寄せ」は、現在のスマートすぎるスタイルからは想像もつかないほどの荒業でした。そこから見受けられたのは「何が何でも勝つ」という野心溢れる騎乗スタイル。若かりしころの柴田善臣が「勝負師」たりえた証でもありました。



「G1に特にこだわりはないよ」


今年4月に某スポーツ紙のインタビューでそうコメントした彼には心底ガッカリさせられました。G1を勝たずして何故に1流と呼べるのか。ダービーを夢見ずに何故に騎手と呼べるのか。彼は何故こんなにも面白くないジョッキーに成り下がってしまったのだろう・・・


今年3月に引退した大ジョッキー岡部幸雄は、晩年肉体のオーバホールのため休養を余儀なくされ、実に1年もの長い間リハビリに没頭する日々を送り続けました。その間、彼を支えたのは「もう1度ターフに戻りたい」というハングリー精神だったといいます。更に04年1月に復帰する2ヶ月前、落馬による膝の骨折に見舞われた時も、「これでますます辞められなくなった」と言い放ち、その逆境を更なるモチベーションにかえたという逸話も残されております。


当時の岡部幸雄は54歳。今の柴田善臣はそれよりも16歳も若い。54歳の大騎手が晩年に放ったようなエネルギーが彼に存在しないはずがありません。今回彼が怪我で休養することによって、昔のように再びG1を勝つという野心を蓄えてくれることを期待します。


尊厳と敬意を持って「大先生」と呼べる日が来ることを願いつつ。